自己紹介

→SOZOの基本情報

【出身】長野県松本市
【年齢】35歳
【血液型】B型
【性格】無口、穏やか、組織が苦手
【学歴】長野県松本市寿小学校卒業 → 山梨県韮崎市韮崎西中学校卒業 → 長野県松本市筑摩高校中退(豆知識・漫画『クローズ』鈴蘭高校の題材となった高校)→ NHK放送協会高等学校卒業(東京都国立市通信制

 

→過去の行動遍歴①
うつ病(対人恐怖症)克服のため「30秒フリーハグ」を三重県四日市駅前で体験したよ。

 

30秒以上のハグをすると、幸せホルモン「オキシトシン」が脳内からドバドバ分泌されるらしい。その噂を信じて、いざフリーハグ

 

 


開始直後、緊張でガクブル状態 ))))
視線が気になる。恥ずかしい。

 

 

 

 


ハグしてくれる人はみんな笑顔
嬉しい気持ちと同時に内心は、
「いつのまに俺は腐っちまったんだ?」と
あの頃の自分と比べて物思いにふけた(◞‸◟)

 

 

 


女子高生「YouTuberの方ですか??」
目をキラッキラさせて近寄ってきたw
光と影の交わり……。

 


フリーハグ体験後、アドレナリン爆発で「今の俺なら何でも出来る! あぁ、ヤバイっ!」という感情を今でも鮮明に覚えている。この体験が人生のターニングポイントになる。

※過去のブログが残ってた↓

『初チャレンジ!フリーハグ体験「日常から非日常」へ』 この記事は約1分で読めます。はじめましてひょっとこハグ太郎です(´∀`)vあいきなりですが私には長年抱えている悩みがありまameblo.jp
丁度このとき、デリヘル従業員を辞めて自分探しの旅に出たところ。のちに「ストレス社会で頑張るサラリーマンをハグで癒す」を目的とした「i HUG」というデリヘルを開業したのは、ここだけの話。

 

 

→過去の行動遍歴②
同級生2人と「長野県eスポーツ協会」を発足!

 

県下初の協会ということで注目が一気に集まり、第1回目のゲームイベントから大いに盛り上がった。

 


第1回eスポーツ大会後の記念撮影
ちなみに僕は右下のキモい奴 (-。-;

 

 

 

 


ネットの普及により、ゲーセン離れが進む中
ゲーセンの独特な雰囲気を好む猛者が
田舎のゲーセンに続々と駆けつけた( ー̀֊ー́ )✧

 

 


地元新聞に掲載されるたび、ガッツポーズ!
一人ひとりの協力は成果に繋がると実感 (੭ˊᵕˋ)੭
素晴らしい経験ができたことに感謝してる

 



長野県権堂の繁華街の無料案内所。
コスプレして毎日のように踊り狂う
声をかけずに踊って勝手に人が集まる
キャッチ泣かせの集客法を習得するw


eスポーツ協会では、主にTwitter集客・広報を担当していたよ。のちに、情熱のあるプレイヤーたちに協会を任せることになり、僕の役目は終わる。僕は0→1を作り出すのが好き。でも、安定しだすと急に熱が冷めてしまう人間である (^^;;

 


【趣味と特技】

■マンガ
▪︎ちびまる子ちゃん
▪︎クレヨンしんちゃん

■特技
▪︎自重筋トレ(デデーン! 歴13年)
▪︎ヴァイオリン (幼稚園から中1まで)
▪︎サッカー (長野県選抜に選ばれた経験あり)
▪︎格闘ゲームストリートファイターⅣの元・長野県代表・ガチ勢)

■音楽
▪︎スピッツ(アルバムの曲は全て歌える‼)
▪︎Mr.Children(車の中で隠れてキスをしよう)
▪︎GReeeeN(扉)
▪︎KREVA (挑め、I REP、敵がいない国)
▪︎卍ライン (O.RE.O.RE.O)
▪︎ワンオク (wherever you are)
▪︎郷ひろみ (言えないよ)
▪︎懐メロ (主に1980年代の曲)

■映画
▪︎さとうきび畑の唄
▪︎クローズ
▪︎デスノート
▪︎ウシジマ君
▪︎コンフェデンスマン

■ドラマ
▪︎やまとなでしこ
▪︎恋のチカラ
▪︎ドラゴン桜
▪︎GTO
▪︎池袋ウエストゲートパーク
▪︎HERO
▪︎半沢直樹


⒈将来の夢は「プロサッカー選手」

小学校の卒業文集に、僕はこう書いていた。

 

「将来の夢はプロサッカー選手になること!」

 

僕の小学生時代を振り返ると、サッカーに明け暮れる日々。これにつきる。

サッカーが、好きで、好きでたまらない。小学生時代にボールを触らない日は、一度もなかったくらい。マンガ『キャプテン翼』の名セリフ「ボールは友達だ!」がピッタリ当てはまる少年だった。

勉強なんてそっちのけ。大・大・大嫌い。だから、通信簿はきまって体育5、その他の教科はオール1。それほどサッカーに夢中な少年だった。

上達スピードも周りより早かった。地元のスポーツ少年団に入り、最初はベンチ入りだったが、半年後にはレギュラーになり、あれよこれよと県選抜にも選ばれた。

そうなった背景には父の存在がでっかい。父の仕事は「営業マン」。毎朝7時30分には通勤する。

決して裕福ではないけど、不自由な思いをした覚えはない。まあ、ごく一般的な家庭環境だったと思う。

父は、仕事で忙しいながらも毎朝5時30分になると、僕を起こして小学校のグラウンドまで行き、朝練に付き合ってくれていた。

 

そして、決断の日は突然やってくる。

 

小学校6年生、三学期のとある日。父は僕にこう言った。

山梨県にプロサッカー選手の中田英寿を教えたコーチがいる。向こうでやってみないか? お前の実力なら山梨県でも通用するぞ!」と……。

正直、僕は迷った。

友達と離れるのは嫌たけど、サッカーは上手くなりたい。どうしよう、どうしよう……

友達と会えなくなる悲しみ、サッカーが上手くなる喜び、どちらか一方を選べと言われても答えはすぐ出ない。そして、その日から数週間後……

 

僕は夢を選んだ。

 

友達は悲しんでいたが「プロになりたいんでしょ? 行ってきなよ!」と後押ししてくれた。母も兄も応援してくれた。だから、僕は夢を選んだ。

そして、卒業式と同時に、生まれ故郷、長野県松本市をあとにし、山梨県の韮崎西中学校へと転校した。しかし……

この転校がきっかけで、僕の思い描いていた人生が、もろくも崩れ去ることとは知らずに……

 

⒉夢の崩壊

不安と期待を胸に、僕は山梨県の中学校へと入学した。

不安要素の一つである、友達はできるか?   これは意外とスムーズに解決した。みんな優しく、積極的に話かけてくれる同級生ばかりだった。

そして、もう一つの不安要素「サッカー」。そう、これがもう絶望的だった。なぜか。監督と相性が悪すぎた。これは致命的だ。

正直、僕は一年生の中でもサッカーの技術はダントツに優れていた。持久力、決定力、テクニック、パス回しなど、誰がどう見てもだ。

 

それなのに……どうして? 

 

僕は他校との練習試合のとき、必ずベンチスタート。レギュラーではない。監督は、僕を先発で起用しない。試合すら出ない日も度々あった。

 

「俺はボール拾いをしに山梨県に来たんじゃないんだぞっ!」

「なんで1年生の中で1番うまい俺を、レギュラーにしないんだよ!!」

「俺がしっかり練習している姿を監督は見てるのかよっ!!!」

 

日が増すにつれ、監督への不満は募る一方。そんな中、なぜ僕がレギュラーになれないのか、その理由が判明した。そう、それは僕と母、先生との三者面談で。

担任の先生は、勉強の成績の話を終えたあと、サッカーの話題に切り替えた。先生は重い口を開いて次のように話し出した。

 

「監督(サッカー部の)は、昔から勉強ができる生徒を優先的にレギュラーにしています。おそらく、今後もその方針は変わらないと思います。ですから、今からでも遅くはないので、小学生の基礎の勉強から始めてみてはどうでしょうか?」

 

「は? 勉強? 関係あんの?」


もちろん、僕は納得できなかった。僕は勉強をせず、サッカー漬けの日々を送ってきたから、こんな上手くなったんじゃないか。

 

「今から小学校6年分の勉強なんてしてたら、中学校生活が終わっちゃうじゃないか!」

「このままサッカーを続けていても、ずっとベンチなら、サッカーを続ける意味がない!」

 

当時の僕はこう考えるので精一杯だった。いま思えば、小学校6年分の勉強なんて努力次第では、ほんの数ヶ月で覚えられちゃうのにね。ああ、無知すぎる。

そして、三者面談でその話を聞いてからは、部活の練習には行かなくなった。もう、行く意味を感じられなかった。

僕は負けた、負けたんだよ。勉強はできるけど、僕よりサッカーが下手なメンバーに。そう、僕は負けたんだ……。

僕は何もかもヤル気がなくなり「もう、サッカーは諦めよう……」と、父の許可なく、勝手にサッカー部を辞めてしまった。そして、その日から僕は、父に強く当たるようになる。

 

「なんで山梨県なんかに行こうって言ったんだよ! もし長野県にいたら、今頃、活躍してたかもしれないのに!」


そんなとき、父は決まって無言のままだった。

いま思えば、父は片道1時間45分かけて、山梨県の最寄り駅から長野県の松本駅まで、行き帰り合わせて3時間30分もかけて通勤していた。週5日もだ。一度も家族に弱音なんか吐かなかった。

歳を重ねた今だから言える。「お父さん、あの時は、ごめんよ」。親の気持ち子知らずとは正にこのことだ。

母から聞いた後日談だが、父は元々プロ野球選手になりたかったらしい。いろんな事情で、その夢を叶えられなかった。だから……

その夢を僕にたくしたのかもしれない。そんな父の思いも知らず、本当に申し訳なく思う。

父は何を思いながら、僕の朝練に付き合ってくれていたんだろうか。

「こいつなら本当にプロになれるかもしれない!」とワクワクしながら、毎日の朝練に付き合ってくれていたのかな。なんだか心がズキズキ痛む。

そして、当時の僕は、自己成長しない日々がだらだらと続く。目標を失った僕は、何もかもがつまらなかった。クラスメイトとの会話も次第に減っていき、遂には中学校2年生の一学期、僕は不登校になってしまった。

不登校になった理由はサッカーを辞めた以外にも、あることが原因だった。それは……

 

⒊集団イジメを受け不登校


中学校では、小学校と違い1年ごとにクラス替えがある。正直、誰と一緒になろうが、もう夢を失った僕にはどうでもよかった。

ただ何事もなく早く家に帰れれば、それだけで良い。しかし、そんな態度が気にくわないクラスメイトが居たようだ。陰で僕の悪口を言っていたみたい。そこから集団イジメが始まる。

たとえば、授業中に後ろの席から消しゴムが飛んできたり、髪の毛を引っ張られたり、下駄箱の靴が隠されたり。昼食のときは常に下を向いてご飯を食べていた。僕は少しずつ精神的に辛くなっていき……

 

学校に僕の居場所がなくなり不登校


不登校になった一番の理由は、僕が給食当番のときに起こったある事件だ。

ご飯を盛る係は僕ともう一人いた。そのもう一人がご飯を盛っていれば、当然、手の空いている僕がご飯を盛る番。それなのに、集団で僕からご飯を盛られたくないかのように僕を避けていった。

 

あの時さぁ、辛かったよ……
俺、何かみんなに悪いことした?


でも、僕には意地があったので、相手が暴力をふるってきたら、僕も暴力で対抗していた。

だから、怖いという思い出はないんだ。ただ単純に「サッカー」という目標を失った僕は、学校に行く意味が感じられなくなっていただけ。クラスメイトと話していてもつまらない。多分、この頃から僕は……

 

うつ病」になっていたんだと思う

 

そもそも、うつ病という病気を知らなかったから、病院には通わなかった。でも、人と話すことにかなり気を遣うようになっていた。

そして、不登校を母親にバレたくなかったので、毎朝、登校時間になると、制服に着替えてクローゼットの中に懐中電灯とマンガ本をもって、ひっそりと隠れていた。まあ、ドラえもんのクローゼット版と思ってもらえれば分かりやすいだろう。

こんな感じで僕の中学校生活は、ただ何となく時間が過ぎて虚しく終わった。

 

⒋バックレ常習犯の果て

 

中学校時代から時は経ち、18歳になった僕は、コンビニ店員として夜勤で働いていた。依然として「うつ病」持ちだ。いまだ回復の気配はない。

僕の病名は「対人恐怖症」。精神科医からそう診断された。簡単に言えば、極度に人の目が気になってしまう病気かな。薬も処方してもらっていた。たしか、デパスって名前の薬かな。それがないと、人前に出られない。だから、働く上で不可欠な薬。

コンビニは16歳から勤めていて、18歳になると同時に昼勤から夜勤に変えてもらった。理由は単純。夜勤だとお客さんが少なくてラクだったから。

僕にとってコンビニの夜勤は天国。なぜかって? 欲しい物が何でも手に入るからだ。たとえば……

・たばこ
・飲み物や食べ物
・雑誌類
・整髪料
ここだけの話、眉毛抜きセットの新品を開封して、ピンセットで眉毛を整え、用が済んだらテッシュで綺麗に拭いて陳列棚に戻していたよ。もはやコンビニ内の商品は私物化していた。

要するに、盗み癖がついてしまったのだ。こりゃいかん。

さて、この頃から僕はパチスロにハマった。地元の悪友がコンビニの夜勤明けに「スロット行こうぜ!」と、ほぼ毎日のように誘ってくる。

僕がパチスロにハマってしまった理由は、ビギナーズラックだ。たった3時間で6万円勝った。もう衝撃的すぎて、普通に働くのがバカらしく思えてしまった。

意識はしてなかったけど、簡単に稼ぐ方法を知らず知らずのうちに欲していたんだろう。そして、遂に僕は〝あること〟を犯してしまう。それは……

 

2年間続けたコンビニを
バックレてしまった


バックレたきっかけは何か。それは些細な出来事だ。

バックレた当日、コンビニのバイトが2時間後に迫っていた僕は、いつものように仕事へ行く身支度をしていた。そこにパチスロ仲間から1本の電話が入る。

 

「今、松本城で女の子と飲んでるけど、男の人数が足りないから来ない?」

 

僕は、何のためらいもなく、バイトよりも飲み会を優先した。そう、女を優先した。だって、遊びたいじゃん!! Yeahめっちゃホリデー!! フワッフワッ♪

最悪なのは、バイト先に休みの連絡一本入れるだけで済む話だったのに「急すぎるからダメだ」と言われるのが怖くて電話すら出来なかった。ビビりだね。あぁ、情けない。

それ以降、そのコンビニ付近には近寄らなかった。見つかったら何を言われるのか分からないから。

もちろん、自分が悪いことをした自覚はある。でも、謝罪に行けない自分がそこには居て情けなくてしょうがなかった。

それからというもの、パチスロ生活を繰り返す日々。パチスロで負けては、働き口を探して軍資金を集める。そしてまたパチスロへ。もう、完全にギャンブル依存症だよね。

この頃からバックレ癖が常習化していた。なかなかこの習慣から抜け出すのは難しい。丁度そんな時期に夜職の先輩からこう誘われた。

 

「ホストクラブで働いてみない?」


給料は日払いだし、女の子と話せるし、寮もあるし、アフターでムフフもあるかもしれない。頑張れば一攫千金も夢じゃない。

「こんなにメリットがあるなら、やるっきゃない!」と、楽観的な僕は、二つ返事で働くこと決めた。

そして、ホストクラブで働き出してから、何日か経って店が暇な日があった。オーナーから「街でキャッチしてこい!」と、鶴の一声で幹部以外のホストは街に繰り出した。

そしてその時、僕がキャッチした女性との出会いが、僕の人生に大きな変化を与えることになる。まだこの時、それを知るよしもなかった……

 

⒌犯罪者の誕生

その女性とは、出会った日に意気投合し、3日間のドライブ旅行に行く約束をした。話はトントン拍子に進み、出会ってから2日目に再開した。

ドライブ旅行初日は、新潟県上越方面を目指した。彼女と過ごす時間は本当に楽しかった。沢尻エリカに少し似ていたかなーなんて。ふふふ。(←え…キモ)

上越市に着いたら、手始めに小学校のプールで水浴びをした。プハー、気持っちぃぃ。真夏日で汗びっしょりだったから気分は最高潮。ただ、学校の職員に見つかり、注意されたので1時間ほどでそそくさと撤退。

彼女とのデートは楽しいけど、僕らにはお金がなかった。所持金が2人合わせて3,000円ほど……

だから、どうやってお金を作るかを常に考えていた。その結果……

 

「よし、空き巣をしようぜ!!」


彼女もすぐにOKサインを出した。いざ、作戦開始。

ターゲットはおじいちゃん、おばあちゃん。畑仕事に出かけた瞬間を狙い、その家に突入。そして、空き巣に入った結果、僕らが盗んだものは?

 

何も盗んでいない……!?


それどころか、布団が敷いてあったので、寝ていなかった僕らは、そこで2時間ほど寝てしまった。幸い、その間に老夫婦が帰って来なかったことが良かった。まあ、アホ丸出しやな。

眠りから覚めた僕らは、不法侵入をあきらめ、地元の松本市に帰った。松本市に着いたのは午後11時頃。その時、僕はまた閃いた。

「よし、次は車上荒らしをしよう!」

計60台ほどは荒らした。ただ、やってみたはものの、盗んだ物といえば「SMAPのアルバムCD」「うちわ」「パンダのぬいぐるみ」のみ。

リスクとリターンが全然つり合ってない。そう、僕らは何も考えず、本能のままに行動した。おそらく何か刺激が欲しかったのだと思う。(←まったく迷惑な話だよ。被害者の方々、本当に反省しています。)

ドライブデート3日目の朝7時30分頃、僕らは松本市にある「中山霊園」という墓地の駐車場にいた。未だにお金をどうやって集めるか、それしか考えていなかった。しかし……

そんな暴走モードの僕らに、ついにピリオドがうたれる時がやってくる。制裁へのカウントダウンは、もう始まっていたのだ。

中山霊園にはパターゴルフの練習場がある。その日は、おじいちゃん、おばあちゃんがワイワイ話しながら、楽しくパターゴルフをしている。

その頃の僕は金の亡者になっていたので、人の心がなかった。だから、昨夜に引き続き、中山霊園に駐車されていた紺色のクラウンをターゲットに車上荒らしをした。

そっとドアノブに手を掛け、まずは開いているかの確認。チャンス。ドアが開いている。そして、幸運なことに運転席の座布団の下に車のキーが隠されていた。僕はその瞬間……

「よし、乗っていこう!」(←なんでそうなる?)

彼女の車と盗んだクラウン2台連なって中山霊園をそそくさと後にした。

気分がノリノリな僕は、盗難車なのに窓を全開にし、マライアキャリーの名曲を爆音で流してカッコつけた。隣に乗っている彼女も楽しそうだった。でもね……

楽しい時間はここまでだった。

それから2時間後、ついにハッピータイムに終止符がうたれるときがやってきた。

僕らは平然と市内を車で走っていると、松本市の「あがたの森」の交差点で信号待ちになった。丁度その時だった。後ろの方から人が駆け寄ってくる。よく見ると警察官だ!!!

「ヤバい! どうしよう!!」

警察官が近くに来るまでの間、横に乗っている彼女と軽い口裏合わせをした。「この車は俺が勝手に盗んだから、お前は全く関係ないとシラを切れよ」と。

そして、警察官は僕に窓ガラスを開けるようジェスチャーをする。それに僕は素直に従い、窓をあける。

警察官 「この車、どうしたの?」
僕 「黒い服を着たギャングから3万円で買いました」
警察官「そんな訳ないだろ!」

と、あっけなく警察車両に乗せられ、事情聴取をしに警察署へ。

警察署へ行く道中、僕は「ああ、俺の短い夏は終わった……」と、盗んだことへの償いではなく、自分がこれからどうなるのかの心配しかしていない。(←最低ヤローだよ、本当。)

それから、約7時間ほどの事情聴取を受け、午後21時36分、僕は逮捕された。母にも逮捕の知らせは伝わっていたことだろう。

逮捕されてからというもの、面会に来るたび、母の白髪は急速に増えていた。ちょうどこの時期、父と母は離婚をした。僕の逮捕と父との離婚が同時に重なったので、母の精神的ダメージは相当だったのかもしれない。

本当にごめん。

僕はこの逮捕がキッカケで〝あること〟に興味を持ち始めるようになる……

 

⒍ 人生を変えた「1冊の本」

留置所の中の生活は退屈だった。中は静まり返っていて、おそらく常習犯であろう人の話し声、笑い声だけが響き渡っていた。

イメージとしては昭和の学校。コンクリートむき出しの施設だ。学校嫌いな僕には、合わない空間だと瞬時に感じた。また、規律がしっかりしていて軍隊に入隊したような気分になった。(←入隊したことはないが……)

留置所の生活は3ヶ月続いた。最初は「もう人生終わった……」くらいに考えていたが、慣れてくると意外と居心地が良いものだ。

起床時間は、たしか朝7時か9時のどちらか。あんまり覚えていない。起床したら、するべきことは警備員からの点呼確認や布団の収納、牢屋の掃除。まるで人間に飼われている動物。なんか平成から昭和初期へタイムスリップしたかのようだった。

朝の決まり事を終えると、次はある場所に行く。そこではタバコを吸ったり、ヒゲを剃ったり、爪を切ったり、準備体操をしたり、筋トレをしたり、外の景色を眺めたりと、各々することは自由。僕は外の景色を見ながら、いろいろと物思いにふけることが多かった……

「今頃、みんな何やってんだろうなぁ~」
「うまいもん食ってるのかなぁ~」
「俺の存在なんて忘れちゃうんだろうなぁ~」
「アイツ(彼女)元気にしてんのかなぁ~」
「アイツらパチスロいってんのかなぁ~」

さて、面会の時に父が差し入れてくれた一冊の本、これが僕の人生のターニングポイントになる。

知ってのとおり、僕は勉強が大の苦手だ。これまで本はマンガ本くらいしか読んだ経験がない。しかし、父が差し入れてくれた本の題名は「自分を磨くの100の方法」と、中身も文章だらけで難しそう。

正直、読む気なんて全くなかった。ページいっぱいに敷き詰められた文字を見るだけで、頭がいたくなる。だから、留置所で貸し出している無料のマンガ本ばかり見ていた。

ところが、留置所の生活は取り調べをする以外は、面会くらいしかないので、暇を持て余す時間が多い。マンガ本を見て、お菓子を食べて、筋トレをしての繰り返し。そのため、マンガ本はアッという間に全巻読み終えてしまう。

う~ん、することがない~!

そんな時に、ふと思い出したのが、父が差し入れてくれたあの本。「どうせつまらないだろうな」という気持ちで、まえがきだけ読んでみた……。

ふ~ん、まあ、なかなか面白いじゃん!

とりあえず続けて読んでみることにした。その本の内容は、偉人たちの名言集だった。正直、勉強を一切してこなかった僕にとって、衝撃的な内容だった。

サッカーという夢を失った僕に、偉人たちの名言は勇気を与えてくれた。そして、その本は僕に、こう語りかけてくるようだった。

「君ならできる。大丈夫、まだ遅くはない。さあ、はじめの一歩を踏み出そう!」

深い、とても深い闇を抱えた僕の心に、一筋の光が差し込んだかのようだった。偉人たちの名言一つひとつが心に染みた。ひととおり本を読み終えた僕は〝ある目標〟を決めた。

俺は絶対に経営者になる!!!

漠然とした目標ではあるが、経営のノウハウ本を差し入れするよう父に伝えた。僕の心は燃えていた。小学生時代のプロサッカー選手を目指していたあの頃のように……

僕は留置所から出たら、ガムシャラに勉強しようと本気で考えた。もちろん、留置所の中でも裁判までの間は、経営の勉強に励んだ。「絶対に成功してやる!!」という、熱い気持ちを持って。

そして、裁判が終わり、約100日間の時を経て、晴れて留置所の外に開放された。

ここから僕のセカンドライフが急加速する。はずだった……

 

ギャンブル依存症

留置所から出ると、予定通り経営の勉強に取りかかる、かと思いきや「まずは欲求を満たすのが優先だろ」とパチンコ屋に行ったり、女性をナンパしたりと、当初の予定とは180度違った生活を送っていた。

人間て弱いな。それとも僕の決意が弱かったのかな。あんなに決意したのに、欲求を優先しちゃうんだもんな。

そして、相変わらずこの時期も転職を繰り返していた。パチスロの軍資金を集めるために何度も何度も。はあ、何にも変わってないな、僕は。

留置所に入る前と入った後の最大の変化は、本を定期的に読む習慣がついたことくらい。


「まだ若いし、時間もたっぷりある。そんなに焦らなくても、いつかは成功するさ。ちゃんと本も読んでるんだし」

いつかアクションを起せば、簡単に経営者になれると本気で思っていた。(←なんとおめでたい奴だ)


数多くのノウハウ本を読んではいたが、行動に移さない。知識はあるものの、知識を応用しない。つまり、ただの「ノウハウコレクター」になっていた。

それなのに、いっちょ前に同世代よりは本を読む頻度は多いと思い込んでいて「僕はみんなより優れている!」と天狗になっていたのを今でも覚えている。まあ、つまり井の中の蛙ってやつさ。

そして気づいたら、アッという間に10年の月日が流れていた。外見ばかりを気にして内面は磨かかない、ちっぽけなプライドをもった人間になっていたのだ。

未だ定職にも就かず、転職を繰り返し、フラフラと地に足が着いていない。客観的に見たら「底辺のクズ野郎」だ。こんな奴、誰にも相手にされるわけがない。

同世代の知人からは「お前ヤバいな!」「絶対に結婚できないっしょ!」と笑われたことは何度もあった。

「勝手に言ってろ! 凡人が!」

僕には不思議と自信があった。その理由は、26歳までに60社以上もの会社を転職したことに秘密があるからだ。これは、転職を繰り返した人間にしか分からない情報。それは何かと言うと……

 

⒏ 「60回」の転職から“ある答え”が

僕が思い浮かべる転職のデメリットと言えば、周りからの評価が下がる。これくらいかな。一貫性のない人。信用できない人。こんなイメージがあるよね。

でもね、その思考ってただの一般常識なんだよね。その人が過去に経験してきた知識に過ぎない。だから、言い方を変えれば、ただの「押し付け」なんだ。

人には、その人だけが歩む人生がある。だから、他人の一般常識にいちいち踊らされてはいけない。そう今でも強く思っている。

何が正しいか、正しくないか。それは他人が決めることではなく、自分自身で決めること。だから、60社以上の転職を繰り返したことに一切後悔はない。(←もちろん、ご迷惑をお掛けした方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです)

なぜなら、転職のおかげで2つの重要なヒントを見つけたからだ。それは何かというと……

①僕は人に雇われるのが大嫌いだと気付いた点

さまざまな勤務先で仕事をしていると、僕は決まってこう思う。

「このまま一生この仕事を続けていくのか?」
「これで本当に良いのか?」
「本当にやりたい仕事なのか?」

転職するたびに心の中で自問自答していた。だから「もう二度と雇われる側にはならない!」と決心した。

②お金を稼ぐのは難しくないと分かった点

どういうことか? 僕は風俗業界で働く機会が多かった。面接から勤務までの期間が1日~2日ほどとスピーディーだったし、日払いも出来たからね。

また、昼職の会社であれば、社長と接する機会は限りなく少ない。しかし、夜職では個人経営が多く、社長と接する機会がわりと多い。

なぜか僕は、社長に気に入られる傾向が強く、昼食時や夕食時は、他にもスタッフが居るにも関わらず、僕だけ誘われる機会が多かった。

そして、今まで出会った社長らと話している内に、あることに気付いたんだ。それは……

風俗業界の大半の経営者や幹部陣は、あまり勉強をしていないという点に気づいたこと。正確には、何かしらの勉強はしているが、要点がズレている。すべて自分・自社視点。

「どうやったらすぐに儲かるのか?」
「どうやったらすぐに女性求人が集まるのか?」

つまり、お客様や女の子の立場になって物事を考えていなかったのだ。

そこで僕が発見した経営のヒントは「圧倒的な勉強量と実践の同時進行をすれば風俗業界で勝てるのではないか?」と数十名もの経営者さんと会話し、確信へと変わっていった。そう、重要な手がかりを掴んだのだ。

井の中の蛙大海を知らず」というコトワザがあるが、僕はそのコトワザとは反対に、転職を繰り返し、大海を見すぎた結果、重要なヒントを得た。だから、僕にとって60社以上の転職は、大きな財産なんだ。

僕はこの時期から「とにかく雑でもいいから行動する」を心掛けた。あらゆる欲求が押し寄せる中、それに動じないほど勉強が楽しく感じた。ちなみに欲求というのは……

・美容院で髪をカットしたい
・ブランド品を身にまといたい
・合コンに行って異性と関わりたい
・パチンコ屋に行きたい
・今すぐに高収入を得たい
僕は欲求を振り払うと決意したその日から、頭を坊主にした。服は全てGU。ギャンブルも辞めるために自ら田舎生活を選んだ。欲求をすべて断ち切り、勉強漬けの日々を約2年間つづけた。その結果、自信をつけた僕は〝ある行動〟に出る。それは何かというと……

⒐ 金の亡者の復活か?

やはり経営をする上で資本金はある程度必要になる。当時の僕は資金がなかった。だから、スマホだけで簡単に出来る仕事を選んだ。その結果、SNSスカウトマンをやってみることにした。

信じられないかもしれないが「ギャルサー」という無料出会い系アプリを使い、スカウトを始めてわずか1ヶ月で平均6人の女性を風俗店へ入店させることが出来た。費用対効果バツグン!(←あ、もちろん、きちんとした店に入店させましたよ♪)

「え、ネットで求人集め? なんか嘘くさい」という方もいるかもしれない。気持ちは分かる。でも、これは事実なんだ。あるツールを使えば簡単にスカウトできる。

では、僕がどんなツールを使ったのかというと、それは「言葉」。論より証拠ということで、以下の画像を見てほしい。

 

 

 

無料出会い系アプリを使った経験のある方なら分かるかもしれないけど、女性からこれだけ返信が来るって衝撃画像だと思う。普通にやってたら返信なんて来ないから。もちろん、この画像は合成もしていない。

ここで明かしますが、僕は約2年間、何の勉強をしていたのかというと「コピーライティング」だ。悪い言い方をすれば「人を自由自在に言葉で誘導するテクニック」。良い言い方をすれば「人との信頼関係を築く文章術」とも言う。

もちろん、コピーライティングだけに留まらず、経営学、行動心理学、マーケティング、国語の文法、ブログの書き方も学んだ。

ところで、なぜ、わずか1ヶ月で6人もの女性をスカウト出来たのか? 他にもネットにはスカウトマンが山ほど居るのに。それはライバルを調査したからだ。つまり、ライバルはどんな文章を女性に送っているのかを調査したんだ。

どうやって調査したのか? それは、女性に成りすますこと。そうすると、ほったらかしにしていても、1日に50件くらいのチャットメールが届く。その中にスカウトマンらしき人物は2人くらいは居た。参考程度にチャット内容を開いてみるが……

「月収100万円を稼げる店に興味はありませんか? もし、興味があったら返信待っていますね!」

大半は上のような自己完結型。数うちゃ当たる作戦が多かった。正直「これは勝てる」と瞬時に思った。だから僕は、SNSスカウトマンとして一時期、月収90万円ほど稼いでいた時期がある。でも……

結局、スカウトマンはブラックな仕事。僕は母親に堂々と言える仕事で稼ぎたかった。もう、二度と母を悲しませてはいけない、堂々と胸を張って言える仕事がしたい。

「お金に目がくらむようじゃ、そこら辺に居るお客様を騙して金儲けをする小金持ちの経営者と一緒になってしまう。それだけはどうしても避けたい! 俺はお客様に圧倒的な価値を与えるんだ!」

だから、僕は早々とスカウトマンを辞めた。お金ではなく、本当にやりたい仕事をしよう。でも、本当にやりたい仕事ってなんだろう? そう自分に問いかけた。そして、今までの経験から、一つだけ共通する答えが導き出された。それは……

 

⒑ 感動を与える仕事

一番職歴の長い風俗業界に携わりながら「お客様を感動させるような店を作る」。ただ、僕は風俗店を経営しない。

既存の風俗店や女性に対してコンサルティングしていく方向だ。しかしながら、まだ実績が少なく、写真や統計データとなる証拠がそろっていないため、信用性に欠ける。

だから、まず優先すべきことは、証拠集めだ。僕が得意とする「言葉の影響力」を実際に無料でコンサルティングしていく。まずは実績作りから始めよう。大丈夫。僕は何度も挫折してきたんだから、何度でも立ち上がれる精神力は兼ね備えている。

中学生時代のあの頃のように、夢を失って落胆している僕は、もうここには居ない。迷わない。そして逃げ出さない。

仮に、いま、将来の夢は何かと聞かれたら、僕は目をキラキラと輝かせながら、自信たっぷり気に、こう答えるだろう。

……

……

……

「僕の将来の夢は、風俗でお客様を感動させることです‼︎‼︎」

 

⒒ 最後に伝えたいこと

現在、僕がコンサルティングの仕事をしているのは、偶然ではないんだ。過去のいろいろな経験をしてきたからこそ、今の僕という人間が形成されている。

全ての経験には必ず意味がある。「人生に無駄なことは一つもない」と心から思えるようになった。だから言いたい……

あの時 イジメてくれた同級生たち ありがとう!

あの時 サッカーを諦めさせてくれた監督 ありがとう!

あの時 反面教師になってくれた経営者さん ありがとう!

あの時 対人恐怖症になった自分 ありがとう!

あの時 本を差し入れてくれた父さん ありがとう!

あの時 留置所で過ごした日々 ありがとう!

僕と出会った全ての人、物、事 ありがとう!
そして最後に、今まで散々迷惑ばかりかけてきたのに、何も言わず、僕を最後まで信じ、見守っていてくれた母に、最上級のありがとう!!!